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4.コラム2026.4.30
【選んだ道を正解にする vol.2】ピープルが持つ選択肢の多さを活用し、自身のキャリアを築く方法

こんにちは!ピープルソフトウェア広報チームです。
「選んだ道を正解にする」をテーマに、ピープルの社員個人のキャリアを紐解きながら、転機となった選択や、その選択を正解にするまでの道のり・想いなどをインタビューしていきます。
選択肢が多い今の時代、「ガチャで失敗したくない」、「最初から正解を選びたい」、そんな不安を抱えるのは当たり前かもしれません。そんな中、転機となった選択、そしてその選択を自らの手で「正解」に近づけようと奮闘する先輩社員の軌跡。ぜひご自身の未来と重ね合わせて読んでいただきたいです。
今回話を聞くのは、イノベーション推進事業本部 デジタル推進部 技術共創グループの事業リーダーである小林健太(こばやし けんた)さんです。倉敷市出身の小林さんは、情報系の大学を卒業後、新卒でピープルに入社しました。5年ほど東京オフィスで勤務し、岡山本社に戻ってからは様々なプロジェクトやチームでリーダーを務めたのち、事業リーダーとして活躍しています。その背景にある選択と、ご自身の変化を聞きました。
地元・倉敷の企業でも、東京で挑戦できる可能性がある

―新卒で入社されてから現在まで、ピープルの一員として活躍されている小林さん。そもそもなぜ、ピープルに就職しようと思ったのですか?
小林(敬称略):
一番の想いは「IT業界で働きたい」でした。その中でも社風が合いそうだと思ったことや、地元企業でありつつ東京でも働けそうなことなどいくつか理由があり、ピープルに入社しました。
実は高校は、工業系の学校に通っていたんです。電気工事士の資格を取得したので、卒業後すぐに就職する道もあったのですが、電気の専門性にもうひとつ何かをプラスしたいと思い別の道を探しました。電気工事士の実務を勉強していた中で、システムや仕組みを構築する領域に関心が出てきていたので、情報系の大学に進学しました。
高校時代とは全く違う分野の勉強でしたが、新しい技術を一つひとつ習得していくのが面白かったのだと思います。大学で学んだことを生かして、IT業界に就職したいと考えるようになりました。
就活の軸として技術をきっちり身に付けたかったので、自分に合う会社であることや自然体で働けることをとことん見極めようと思って、勤務地や住む場所にはこだわらず検討していました。就職活動ではIT企業であれば、県内外問わず様々な企業の面接を受けましたね。
当時は倉敷でIT企業というと、もうピープル一択で、地元で就活した唯一の会社でした。会社見学をした日は、今でも印象に残っています。社長含め、みなさんが私服で自由な雰囲気で働いているのを見て、ピープルなら自分も自然体で働けるかもしれないと思いました。*
しかも東京や大阪にもオフィスがあって、倉敷に拠点を置きながらも都市圏で働ける可能性を感じたのです。自分にとって学びの間口が広そうだと思い、面接時から東京で働きたい意志を伝え続けて、採用されました。
―今日の装いは、私服ではなくスーツですよね。
小林:
そうなんですよ。今日はこのあとお客様のオフィスへ伺うことになり、TPOを考えてたまたまスーツなんです。スーツ姿、ピープルでは珍しいですよね(笑)
*ピープルでは1997年から私服勤務制度を導入
自分の強みを見つけた、東京での大規模プロジェクト

―入社してから約5年は、東京オフィスの配属だったと伺っています。「東京で働く」という選択は、小林さんにとってどのような選択でしたか?
小林:
自分のキャリアの基盤を作った5年でしたし、経験してみたかった一人暮らしもできて、社会人として成長できた選択だったと思います。
東京に行った当初は、仕事以前に生活面での戸惑いが大きかったです。家事などは全て自分でやる必要がありますし、出勤時の満員電車も初めての経験でした。社会人になりたてで分からないことがたくさんありましたが、東京で生活している先輩や、同じく東京配属になった同期がいたので、助けてもらいながら成長していったなと思います。そういった中で、後のチームワークに関係するつながりが深められたのも良かったですね。
―東京勤務の約5年で、とくに印象に残っていることはありますか?
小林:
入社して3年ほど経ったときに、10人以上のチームが複数社から集まり、合計100人以上で一つのシステムを作ったことがありました。これは当時、ピープルの中では大規模な仕事で、東京にいたからこそ経験できた仕事でもあります。入社してすぐに大きな仕事に携われたのは、貴重な経験でした。
このときは、お客様の基幹システムを作っていました。基幹システムとは、会社を経営するうえで必要不可欠なシステムです。設計がかなり複雑でむずかしいものでしたが、誰が開発を担当するか決めるとき、若手の自分に声をかけていただきました。まだ経験値が浅かったものの、当時持っていた技術や想いを全部出し切って、なんとかやり遂げましたね。
―入社して数年で、100人のチームに入って開発。プレッシャーがかかりそうな仕事ですね。
小林:
あのときは、とにかくがむしゃらでした。でも、お客様と丁寧に会話し、業務内容の理解や業務知識を身に付けるという手法は、あのプロジェクトがあったから身に付いたのだと思っています。
基幹システムは会社経営の根幹なので、お客様がどのような業務を、どのような流れで行っているのか、それはなぜそうなっているのかなどを理解しないと、そもそもシステムが作れないんです。当時一緒にお客様対応をしていた先輩が、お客様と丁寧に会話されていて、お話しの中から業務内容を引き出す力に長けていました。その話し方や、話すときの姿勢などがとても勉強になり、当時の学びは今も活きていると思います。
―近くにお手本となる先輩がいるのは素敵ですね。
小林:
そうですね。大きなプロジェクトなので個人の力だけでは遂行が難しく、チームワークが重要でした。先輩後輩問わず「みんなでやり切ろう!」と一致団結している雰囲気がありました。当時の東京での仕事は他社との競合が厳しかったので、仕事の進捗をスピードアップしようと目の前のことに必死だったと思います。だからこそ、近くにいる先輩の存在は心強かったです。
また業務知識を身に付けるために、お客様の業界に関する書籍を読んで自ら勉強していました。現場から学ぶことと書籍から学ぶこと、両方の角度から行っていたので、より業務についての理解が深まったと思います。このあたりの現場・現実を見る観点は、電気の勉強をしたときのことが役立ったと思います。
大変なことも多かったですが、この経験によって業務知識を身に付けたことは自分の強みになりました。自分に自信を持てるようになった、一つのきっかけだったと思います。
私生活の事情があっても、キャリアを諦めない

―その他にも、小林さんのキャリアで転機となる選択はありましたか?
小林:
今から10年ほど前ですかね。東京に行ってから5年ほど経って、岡山に戻る選択をしたときでしょうか。自分から希望を出して、それを会社に認めていただいて戻ってきました。
―なぜ岡山に戻ろうと思ったのですか?
小林:
一番の理由は私生活の事情です。実家の都合だったのですが、近くに住んでいた方がいざというときに動きやすいし、仕事にも集中しやすいかなということで、岡山に戻ることを希望しました。
―会社に希望を伝えて、岡山に戻るまでにやったことはありますか?
小林:
個人的な都合をどのように持ち込むかというのも悩みましたが、まずは岡山に戻りたい意思を、素直に上司に伝えました。普段からよくコミュニケーションを取って仕事をしていたので、業務のちょっとした相談をするのと同じような声の掛け方で「少し相談してもいいですか」と切り出したのを覚えています。
東京で最終的に担当していた業務は、将来的に岡山のメンバーで担っていく方針となっていました。その中で、これまでの経緯や業務理解を踏まえ、岡山へ戻るタイミングで私がその一員として関わることになりました。上司からも、継続的に関わることでこの業務の中核を担っていくことになるだろうと声をかけていただきました。
また、それを強みとして仕事ができるようになったら、新しいことに挑戦する際にも経験を生かせるだろうということで、最適なタイミングを見計らって岡山へ戻ることを決めました。
単に岡山に戻って仕事をするのではなく、今後のキャリアを見据えた形で関わり方を検討してくださったのは嬉しかったです。私生活の事情も含めて親身に相談に乗ってくださる会社でありがたいなと感じました。
―岡山に戻ってからの仕事で、印象に残っていることはありますか?
小林:
岡山に戻ってからはお客様の会社に常駐(自社ではなく、お客様先のオフィスで勤務する働き方)していて、ピープルのオフィスで働くことは少なかったです。しかし、事業部のチームリーダーを任せていただくタイミングで、働く場所を岡山本社のオフィスに戻しました。これがもう一つの大きな選択だったと思います。
お客様に一番近い場所で働くことで、現場・現物・現実を見て、そこから必要な技術を導き出す手法を習得できたことは、私にとって大きな財産となりました。
チームリーダーに任命された当時は、私は常駐先に一人で赴き、他のチームメンバーはオフィスで勤務している状況でしたが、業務自体は問題なく進めることができていました。
しかし、今後さらにチームとしての連携を深めていくことを考えると、メンバーの顔が見える環境で、日常的にコミュニケーションを取りながら働きたいという思いが強くなりました。また、常駐という形態上、業務の優先度はどうしてもお客様先に軸足が置かれます。事業部としての今後の取り組みやチームビルディングの動きをしていくためにも、自社の状況がより把握できる環境で働きたいと考えるようになりました。上司と相談し、事業部としてもそのような働き方を求めていたため、岡山本社に出社して働くようになりました。
常駐で得られる経験や成長機会は非常に大きく、今の自分を形づくる上で欠かせないものでしたが、今回の選択は、そうした経験を踏まえたうえで、次の役割にどう向き合うかを考えた結果になります。
現在はオフィスでの勤務に移り、お客様に寄り添うことで培った技術や知見をどのように組み合わせて価値に繋げていくかを模索してきました。現在も試行錯誤を続けています。
携われる仕事の選択肢が多い

―チームで働く面白さは、どのようなときに感じますか?
小林:
みんなで一丸となって目標を達成できたときに、一番の面白さややりがいを感じます。
現在所属しているイノベーション推進事業本部は、新しい仕事を新しいチームでやることが多いんです。チーム作りとモノづくりを同時に進めるのは非常にむずかしいのですが、大変な分やりがいをとても感じます。とくに目標を達成できたときは、一人で目標を達成するよりも喜びが何倍にもなるので、がんばってよかったなと思えますね。
―東京オフィス所属の頃から、社内外問わず様々なチームで働いてきた小林さんにとって、どのようなチームだとやりがいを持って働けると思いますか?
小林:
一人ひとりが自分の力を発揮できるチームだと、自分だけではなくみんながやりがいを持って働けると思います。そのために、先輩後輩問わずフラットな関係性を築けるように意識しています。
例えば、リーダーである自分が何かを指示しなくても、メンバーから自然と提案が出てくるのはいい状態かな、と。メンバーが自ら考えて動くことができると、今の仕事が発展して別の仕事に繋がったとき、提案した過程やその際に身に付けた技術が次に生きると思っています。これは本人にとっても、チームにとっても、ピープル全体としても資産になり、やりがいを持って働ける状態が続くのではないかと思います。
このような状態をまずは自分のチームで作るために、一つひとつの仕事の目的をメンバーに共有するようになりました。目の前の作業に集中していると、なぜ自分がこんなにがんばっているのかを見失ってしまうことがあります。お客様の何の課題を解決するためにやっているのか、それはどのような価値があるものなのかを伝えたり、時にはみんなで考えたりしながら、それぞれが目的意識を持って働けるように意識しています。
また、事業リーダーとして事業を推進する役割も担うようになり、これまで以上に会社全体の視点で業務に向き合う機会が増えました。
東京で大きなチームの一員として働いた経験も、現在のチームづくりに活きていると感じています。現場ごとに異なる進め方やコミュニケーションの取り方を経験してきたからこそ、メンバー同士が連携しやすい環境づくりにも活かせていると考えています。

―最後に、小林さんが思うピープルで働いていてよかったと思うことを教えてください。
小林:
ピープルは、携われる仕事の選択肢が多いと思います。それがやりがいでもあり、面白さでもありますね。
例えば、一つのシステムに長く携わりたい場合は、過去の私のように基幹システムを担当すると、同じお客様を長期的に伴走支援できます。一方で、新しいシステムを一から作って、お客様の要望を伺いながら価値を提供しようとすることも可能です。ピープルは受注の仕事も、自社製品やその技術を使って一から仕事を開拓することもできるので、自分がどのような仕事がしたいかによって経験できる幅が広いのが面白いと思います。
また、「今ある選択肢以外のことはできないのですか?」と質問されたら、そうではないこともお伝えしたいです。「今までピープルではやったことがないけど、こんなことをやりたいです」という想いがあれば、ぜひ教えてください。どのような形なら実現できるか、またどのようにお客様に価値を提供していけるかなど、一緒に考えていきたいと思います。
以上、【選んだ道を正解にする vol.2】小林さん編でした。ありがとうございました!
本記事に関するお問合せ担当部署
ピープルソフトウェア株式会社 経営推進本部
※本記事の内容は、記事掲載日時点の情報にもとづき作成しています。
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